2013-09-30

concept Alterspace

Alterspaceとは

<企画の動機:これまでの活動と、仮の解答としての代案空間の提案>
これまでインディペンデントで展覧会の企画、開催を行って来ました。ギャラリーなどの展示空間が整った場所だけではなく、銭湯、古本屋、洋服屋などでも展覧会を開催しています。
これらの活動の根底には「展覧会とは何なのか」「どういう可能性があるのか」ということへの問いがあります。当然、既存の施設や組織への問い、アーティストが作品を見せるとは何なのかという問いも含まれています。これらの問いに対する一つの答えはありません。しかし、自分の企画する展覧会の開催、インターネット放送局comos-tvの運営メンバーとして同時代のアートに関わるさまざまな人々との対話、また隣国である韓国に実際に滞在してリサーチを行うことで、それらの問いへの解答、あるいは問いの細分化を行ってきました。今回応募する企画の提案は、これらの私自身の活動を通しての問いの仮の解答でもあります。

<企画のねらい>
企画概要は1ヶ月(20日間)限定の、仮設のアートスペースをオープンさせ、運営します。
フリーランスでこれまで限定のスペースを持たず、アートのコーディネートの仕事をしながら、場所を替え、展覧会を続けてきました。その目的は、規定の枠を設定せず、様々な可能性を探りたいということもあります。韓国をリサーチして、韓国にたくさんあるオルタナティブスペースは、家賃が安いからオルタナティブ・スペースを作りやすいのだと当初は思いましたが、果たしてそうでしょうか?よく考えたら私は展覧会場にお金を払って借りたことは一度もありません。東京はさまざまな隙間があり、さまざまな可能性があります。
アサヒ・アートスクエアのイメージは、天井の高く、既存の美術展の成立しにくい楕円の空間で、エレベーターを動線とする非現実的な空間です。秘密基地のようでもあり、一歩外に出れば浅草の下町風景が広がりますが、奇抜な外観の建物やスカイツリーと下町のコントラストは、東京の混沌とした風景として自然になじんでおり、現代の東京を象徴する風景を含んでいます。
この場所を起点/基点にアジアとのハブを作り、作品発表やシンポジウムが行えるような仮設のアートスペースとして20日間機能することが実現させます。アサヒ・アートスクエアが起点であれば、会期が終わった後、場所を持たず、さまざまな場所に寄生しながら独自のアートスペースを継続させていくことが、スムーズにできるのではないかと考えています。
http://path-map.com/

・企画の内容:空間の活用方法など
<空間の活用方法>
韓国の現代アート作家Lee Daeil氏の廃材を活用した木材が、舞台になり、展示のための壁になり、オフィスの小屋になり、観客が座る階段になる。(※参考資料参照)。会期中のイベントや活用に合わせて場自体が変化し、会議ができる場から、ライブやトークイベントができる。2時間から3時間でストラクチャーの変更が可能な設計になっている。Lee Daeil氏はこれまでも廃材を活用し様々な人が集まる場を作っている。今回のプラン案ははSite Creatingがキーワードとのこと。

<企画の内容>
会期中、毎日様々なことがアサヒ・アートスクエアで展開されます。キーワードはアジアと繋がる、作品を見せる・体感する、交流する(comos-tvによるustreamイベント、都内のギャラリーやアートスペースとの交流)

2013-02-14

space beam へのインタビュー


日本人の私がインチョンを紐解くと、インチョンの中心地に保存された日本風の堅牢な歴史的建造物を含め、すぐに日本の統治時代のインチョンに出会うことになる。どの視座を持って、この土地に対峙するべきだろうか。いま・ここ性を重視する現代アートの考えに、過去の歴史や未来という時間軸を重ねて考えることが重要だということをさまざまな対話のなかで実感した。
東インチョンのペダリ地区にあるSpace Beamは、柔軟な姿勢と一貫した考えを持ち、空間軸と時間軸を意識しながら作られている希有なコミュニティーアートスペースである。なぜこの場所に、今、いるのかということが明確にわかる。それは、地域性、公共性、自律性を基本にした考えからも明確である。産業道路やニュータウン計画への反対活動がアートプロジェクトと結びつき、2007年に行われたプロジェクト、都市遊牧2-Discoveryの話には特に感銘を受けた。
Min - woongi 氏へのインタビューのなかでは、「地域の状況や問題など、地域の文脈に則ってこの場所を運営していこうという考えです。地域に根ざした空間で、水平に広がる芸術を呈したかった。」「自分の利益や産業の発達による利益や権力などのすぐに通り過ぎてしまうものに反対しながら、生活とはなにかを見つめたいと考えています。」と言う力強い言葉にも感銘を受けた。

SPACE BEAM
* SPACE BEAM community ディレクター ミン・ウンギ氏へのインタビュー (2013年2月7日、SPACE BEAM communityにて)
聞き手/構成:水田紗弥子

2013年1月-2月に韓国のインチョンにあるインチョン・アート・プラットフォームというレジデンスにリサーチのため滞在しました。韓国にあるさまざまなオルタナティブ・スペースの中でも独自の活動を続けるSPACE BEAM community (以下、SPACE BEAM)のディレクターに話をうかがったので、ほんの導入部分ではありますがここに掲載させてもらいます。

日本人の私がインチョンを紐解くと、インチョンの中心地に保存された日本風の堅牢な歴史的建造物を含め、すぐに日本の統治時代のインチョンに出会うことになる。どの視座を持って、この土地に対峙するべきだろうか。いま・ここ性を重視する現代アートの考えに、過去の歴史や未来という時間軸を重ねて考えることが重要だということをさまざまな対話のなかで実感した。
東インチョンのペダリ地区にあるSPACE BEAMは、柔軟な姿勢と一貫した考えを持ち、空間軸と時間軸を意識しながら作られている希有なコミュニティーアートスペースである。なぜこの場所に、今、SPACE BEAMが存在しているのかということが、地域性、公共性、自律性を基本にした考えからも明確である。産業道路やニュータウン計画への反対活動がアートプロジェクトと結びつき、2007年に行われたプロジェクト、都市遊牧2-Discoveryの話はその発想とユーモアと反骨精神に共感を覚えた。ミン・ウンギ氏へのインタビューのなかでは、「地域の状況や問題など、地域の文脈に則ってこの場所を運営していこうという考えです。地域に根ざした空間で、水平に広がる芸術を呈したかった。」「自分の利益や産業の発達による利益や権力などのすぐに通り過ぎてしまうものに反対しながら、生活とはなにかを見つめたいと考えています。」と言う力強い言葉にも感銘を受けた。


★SPACE BEAM communityの始まり
2002年1月19日に、インチョンの新都心のグウォルドンという場所で、SPACE BEAMをオープンしました。もともとは1995年に"地域美術研究会"として発足して、勉強会やニュースレター、展示企画などの活動を行ってきました。実践の場の必要性を感じ、仁川のグウォルドンに開館しました。 
同じビルには中央芸術団という大きな財団や、民間のギャラリーも入っていました。SPACE BEAMは市の施設や市の政策として始まったわけではありませんが、場所は新都心の中心部で始まったのです。その後、現在の東インチョンのペダリ(船橋)という地区に移りました。SPACE BEAMのビムというのは、空(から)、vacant とかemptyというような意味があります。空の場所で、実体と出会うということを意味しています。

★重要な3点 :地域性、公共性、自律性
SPACE BEAM を始めた当初から現在も続く一環した考えですが、地域性、公共性、自律性の3つに力をいれています。特に、私は公共性が大事だと思っています。

「地域性」
地域性というのは、地域の状況や問題など、地域の文脈に則ってこの場所を運営していこうという考えです。地域に根ざした空間で、水平に広がる芸術を呈したかったのです。
ギャラリーの勢いを見ても、美術は全般的に落ち込んでいるように感じています。そのような時にギャラリーの数をたくさんを作り、市民に美術を与えるという立場や役割ではなく、自分たちが量ではなく、アーティストとも、地域とも同じ立場で活動していきたいという姿勢で活動したいと考えました。

「公共性」
公共性については、内容的な面もありますが、経済的、産業的な事柄とは距離を出したいと思いました。公共性を主張すれば、経済的な性質は下がりますよね。産業や経済をもとに考えると、物を売ることと直接繋がっていて、それは形式的な考えです。それ自体を否定しているわけではありませんが、利益を覚えると他の新しいことを考えにくくなり、身動きが取り難くなります。もちろん、アーティストも食べないといけないことはわかっています。ですから、既成のシステムではなく、新しい活動をしながら経済的な収入を得られるようなシステムを考えています。

「自律性」
自律性というのは、自らつくるということです。誰かがシステムをつくってあげるのではなく、作家が自律する、スペースも自律するということです。芸術は自分たちの生活から距離を置いたものではなくて、自分たちの生活に寄り添ったものだと考えています。現実の時間や空間のなかで、芸術を作り上げて行くことの重要性を考えています。

★市民の活動と共に
「産業道路計画」
現在のペダリという地区に移る前に、産業道路の工事がペダリ地域で計画され、市民の声を全く聞かないで進行してしまいました。私たちの活動の核にしている考えに戻れば、すぐに行動するという選択肢しかありません。そして産業道路に反対するという立場でSPACE BEAMを移しました。その後、ニュータウン計画の構想がありました。冷麺通りや東インチョン駅、ペダリ地域を撤去してニュータウンを構想した計画です。どちらにも反対の立場をとり、2007年から現在も反対活動は続いており、さまざまなことがあったのですが、結果的にはニュータウン開発はとりやめることで合意しました。まだ工事は始まっていませんが、産業道路は地下を通ることになりました。
反対活動は、都市遊牧2−Discoveryというプロジェクトから始まりました。トラックにテントを積んでペダリ地域の都市空間を周って、許可をとらずゲリラ的に2−3日滞在し、行く場所ごとにさまざまなプロジェクトを展開しました。私たちが反対する理由として、一つの村を守るということももちろんあり、結果は成功しました。しかし一方で、自分たちの生活の価値を今一度見つめるという立場があります。自分の利益や産業の発達による利益や権力などのすぐに通り過ぎてしまうものに反対しながら、生活とはなにかを見つめたいと考えました。

参考URL:
http://www.spacebeam.net/

2013-02-05

Alterspace-目的とねらいなど

Alterspaceの意図

極寒の仁川でひとり机上で盛り上がり、場所を持たずにオルタナティブ・スペースの先を行く、と決意したのは単なる盛り上がりだけではない自分の問いがあります。また、これまで行って来た自身の展覧会の企画の次のステップを考えています。
2014年1月にアサヒ・アートスクエアでAlterspaceは始まるので、今は妄想したり準備をしたり、ボルヘスを読んだりしています。あと荒川修作のサインを眺めたりしてニヤニヤしたりもしています。なんでかというと「詩の建築」と書いてあって、学生のときサインしてもらったのですが、詩で建築が建てられないか考えてるんだ、キミはどぅ思う?と聞かれたのです。そのときは「?!」としか思いませんでした。でも、展覧会という時間が点在するような試みが可能な形式なら「言葉」によって作られた独創的なボルヘスの図書館のような空間ができるんじゃないかな、ドラえもんの四次元ポケットやどこでもドアのような場をしかけることができるんじゃないかと思っています。それはもはや、展覧会ではないかもしれない、誰も把握できないから。
できれば10年くらい続けたいです。そしてオルタナティブ・スペースという名称のように「オルタースペース」という名称が世間に浸透した頃にそれを投げ捨てる勇気を持ちたいです。

予定:
2014年1月11日〜2月3日までアサヒ・アートスペース、他、にて開催します。
そのあと、断続的に開催を熱望しています。

目的:
・既存のアートの制度(展覧会という形式、オルタナティブ・スペースという在り方)をもう一度よく考える。
・シリーズで行って来た展覧会の限界=展覧会が終わると解散するという在り方、を感じて、継続した対話を行える場としたい。
・海外のアーティストやスペースとの恒常的に繋がる。お金も場所も無くても関係を持続する方法を模索する。

実際なにをやるか
・ミニマム/マキシマムな空間—実はアサヒ・アートスクエア以外の方がおもしろい、というしかけをつくる。
・既存の継続した新しい活動との連携—アーティストの新しい作品発表の試みに出張を依頼。
・東アジアー中国・韓国・日本の対話ーまじめ。
・参加アーティストや参加してもらう団体などの紹介は一気に2013年10月を目指しています。

2013-01-20

アサヒ・アートスクエアのオープン・スクエア・プロジェクトに応募

韓国にいる間に、いろいろなオルタナティブ・スペースのディレクターやメンバーと話して、どういう運営をしているのか聞いたりしているうちに、すごく盛り上がって、私もそれくらい自由に、アートの枠も広げてやりたい!しかも韓国のアートも紹介したい!とシャワーのお湯が一定量出た後、水になってしまうという狭い部屋で考えました。

そんな折に、アサヒ・アートスクエアがプロジェクトを公募していて、それに応募することにしました。(後日談というか、この応募は通ったのでその結果このブログがあります。)
http://asahiartsquare.org/ja/news/post/809/

韓国のオルタナティブ・スペースは、日本よりかなり数が多いです。まず韓国は家賃が安いというのが圧倒的に有利。市場は少しずつ廃れていて空き店舗なども多いのですが、そういった場所を有効利用しているスペースはいくつかありました。私が行ったなかだと、石水(ソクス)というところにあるStone & Waterや、テグにあるBangcheong marketの中にもスタジオがありました。話を聞くと、アートプロジェクトなんかを一回行うと、店舗が安く借りられたりして(一ヶ月一万円くらいとかで借りられるらしい)、そこをスタジオに改装したりしながらアーティストが徐々に住み着き、継続してプロジェクトを行っているそうです。
市場は廃れつつあるというのが寂しい話ですが、そういった隙間にアートが浸食していくのはなんとも言えない町のあり方でした。こういう場所で活動しているコミュニティベースのアーティストたちには横浜の黄金町が有名でした。

横道にそれましたが、韓国のオルタナティブ・スペースの強さはお金の集め方や柔軟に場所を移動していくことなど学ぶべきことも多く、このフレキシビリティを活用しつつ、東京に沿った新しい形のオルタナティブ・スペースのようなことができるといいな、というのがAlterspaceのきっかけになりました。
そして更に言うと、韓国のAlternative space=代案空間、ももう代替の手段ではなく、オルタナティブスペースを行う!という限定から脱していないというか、名前が体を表していないと思うこともあり、Alternativeではなく、その空間、その場所自体が変化しつづける、むしろスペースもなくても良い"Alter"な空間をつくりつづけたいな、と思ってこのAlterspaceプロジェクトを始めることにしました。

こういう新しいことを始める瞬間、立ち上がっていく瞬間はわくわくして本当におもしろいのですが、これを現実に落とせるかどうか、相談したのがLee Daeil というアーティストで、彼に空間を任せることにしました。

2013-01-10

Incheon Art Platformー韓国のレジデンスについて


スペインから来ていたアーティストKarla & Andresのスタジオ(IAPにて)

私が滞在していたインチョンアートプラットフォーム(IAP)は、インチョン(仁川)空港のある仁川市内にあり、ソウルの中心地からはだいたい1時間くらいの場所にあります。
港町で中華街があり、元倉庫だったレンガ造りの建物をアーティストのスタジオや展示スペースにしているというあたり、日本の横浜との類似点もよく指摘されます。歴史的には日本が支配していた時代の面影が色濃く残る町でもあります。

もともとは港町で労働の町ですが、現在は産業都市として都市開発が進み、ニュータウンや工場ができ、電車の拡張も進む2013年・・・でした。仁川についての詳細はspace beamの紹介や、Kim Soohwanというアーティストの紹介とともに別の機会に行いたいと思います。

IAPにはキュレーターの枠で、韓国のオルタナティブ・スペースやアーティストのリサーチを目的として個人で応募して受け入れてもらいました。これは夏に滞在していたGyeonggi Creation Centerもおんなじで、個人枠です。最近ではキュレーターが個人で応募できる枠のあるアーティストインレジデンスも増えてきて、インディペンデントに活動する私としては身動きがしやすくありがたいです。組織に属していないとリサーチといってもなかなか怪しい日本人(誰も知らないところでネットワーク作るのって誰でも難しいですよね)・・・なので、IAPにリサーチで滞在しているのでインタビューさせてくださいとアポイントもとれるし、名刺も作ってくれたり、何よりアーティストのスタジオがまとまってある場所に滞在できるわけなので自然と親しい人も増えます。韓国はソウル市内外あわせ、かなりのレジデンスがあります。韓国のソウル近辺レジデンスについてはまた後日情報を流そうと思いますが、アーティストの方でレジデンスを探している方はResArtisTransArtistsのサイトなどに応募情報が掲載されているので参考にしてみてください。
コミュニケーションは基本、英語ですし、書類も全部英語でしたが、到着すると英語ができる人なんて日本語ができる人と同じくらい少なくて、韓国語を勉強すべきだった・・・と思ったことも。ただし、日本語ができる人も結構いるので、通訳をお願いしたりしました。

さて、私がなぜ、K−Pop好きでも韓流ドラマ好きでも何でも無いのに韓国に行ったのかというと、あまりにも知らないことに愕然としたという所から始まっています。東アジアの歴史も隣国との関係も、さまざまな観点で知識としては知っている部分もありましたが、圧倒的に知らない。西欧の文化や言語は知っているのに、ハングルを読もうと思ったことも無かった・・・、ということを認識し、これからアートの仕事を続けるに当たって、もっと学びたいし海外にも軸があったらいいなと思い、偶然か必然か滞在していました。
また、韓国のレジデンスの間口が広いというのも、それから大きな声では言えませんが英語圏の英語に怯む私もアジア圏の英語なら堂々と!コミュニケーションとれ、海外生活の経験が無い私にとっては自信にもなりました。ははは。
そして現代アートや社会の流れが東アジアとの関係に向いてきたので、いろいろなポイントで立ち止まって考えています。

韓国のアートについては、まだまだ片足を踏み入れただけで無知な部分もありますが、実際に見て、人と会わないと、私の場合は前に進めない性格・・・、というかやはり共感や経験から発信するしかできないので、また機会があればレジデンスに行きたいです。

関係ないけど、IAP近所の家庭的食堂のカキビビンパ。
8000KRWくらいでおいしかったし、お世話になった・・・

2013-01-08

韓国にて

時系列でまとめておくのも自分の頭の整理に役立つだろう、そしてこの一見よくわからない仕事に意義を与えるだろうと思い、日記形式で記しておきます。2013年は始まってすぐに韓国に滞在していたので、その辺りから思いつく限り書きたいと思います。

韓国にはインチョン・アート・プラットフォームというところに滞在していました。2012年の夏にGyeonngi Creation Centerに短期で滞在しており、これが二度目となります。
二度の滞在での経験をなんとか日本にて情報共有できないかなというのが、アサヒアートスクエアに提出したAlterspaceの企画にも繋がっています。
ちょっと恥ずかしくもあるのですが、一応触れるとたまたま聞いたラジオでドラッカーの
Management Challenges for the 21st Century という本(日本語だと「明日を支配するもの」らしい)について話しているのを偶然聞いたことにも結びつきます。その本のなかではパラレルキャリアっていう、まあ簡単に言うとサラリーマンも副業を持てよって話をドラッカーは進めてるわけです。そのなかで「自分の持っている情報は社会に還元していこう」みたいなことを言っているらしく、まあ普通のことなんだけど、そういう意識が低い自分にとっては妙に納得するな、という感覚がありました。というか、自分がわざわざ韓国にまできて、夏はど田舎で二ヶ月ほど生活し、かなりのアーティストに会ったり、Litmusという濃いオルタナティブ・スペースの人としょっちゅう遊んだりしていたんだけど、それを日本でどう共有すればいいんだ?というのは答えが見えておらず、冬の韓国滞在の課題にしようと思ったわけです。

インチョン・アート・プラットフォームの夕暮れ